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あの日のオルガン

解説

戦火から子供を守り抜いた保母さんたち

 

 

太平洋戦争末期、東京は空襲警報が鳴っては防空壕に避難する生活が続いていた。
品川の戸越保育所では、園長(戸田恵梨香)や保母たちは、空襲を避けて子供たちだけでも疎開させたいと考えていた。
親御さんとの話し合いでは、「まだ3歳から6歳、子供を手放したくない」「早く安全な所に行かせたい」と意見が別れるも、日増しに火の勢いが強まる中、国の決定を待たずして、保母たちは、
子供たち53人を連れて、埼玉県平野村(現・蓮田市)の無人寺へ疎開した。

無人寺「妙楽寺」は、荒れ果て引き戸もなくホコリが積もっていた。
いそぎ修繕を依頼するも、日用品も食料も不足し、園児たちは親から離されて不安定になった。
暖房は火鉢が2個しかなかった。毎日おねしょする子供たち、お風呂はもらい風呂。
次々と押し寄せる困難な事態を乗り越え、子供たちを守り抜こうとする保母さんたち。
みっちゃん先生(大原櫻子)は、オルガンを奏で、みなを勇気づける。
よっちゃん先生(佐久間由衣)は器用で可愛いアップリケをつけてくれたりしたが、
村の若者(寺の次男)と立ち話をしただけで、「おなご先生が誘ってる」とウワサされ、
責任をとって東京へ帰ることになった。
(しかし東京へ帰ったよっちゃんを運命は炎の海に引き渡す・)
一個のキャラメルを二等分してみっちゃんとよっちゃんは笑って食べたものだ。

赤紙がきて、出征すると言えずに子供たちに会いに来た父親。
「空襲でお父さんとお母さんが死んじゃったの・・」と子供たちに伝えるのに苦しむ保母。
私たちが頑張らなきゃと一団となる保母たちの願いもよそに、
昭和20年8月15日未明、玉音放送の12時間前、埼玉県熊谷市は火の海と化した。
荒れ寺から真っ赤になった遠くの空を見つめる保母たち。
あの放送が半日遅れていたら、平野村もどうなったかわからない。
53人の子供たちは、命が助かってそれぞれ親戚や知人に引き取られていった。
親を亡くして、並大抵の人生ではなかったことだろう。だけども、保母さんたちが
大変な思いと愛情で守ってくれた事は宝物のような思い出かもしれない。
3~6歳なら、あの大自然でワーワー走り遊び、大きな声でオルガンとともに歌ったことをきっと覚えているだろう。

ひとりごと

TSUTAYAでしか借りられないので解説が見た人のレビューです。